ブンデスリーガの試合でダールマンというレポーターが日本を「寿司の国」と言って、差別ではないかと物議を醸しています。詳細は分かりませんが、おそらくドイツ国内で騒ぎになっていると思われます。
え?これって差別なの?いや、日本は確かに「寿司の国」だし。どこに差別的な意味があるの・・・?
よく分からないので、ドイツにいる同僚に聞いてみました。ドイツには、“ザワークラウト”というキャベツの漬物がありますが、どうやらイギリス人などが、ドイツ人に対する蔑称としてドイツ人を「クラウト」と呼ぶようになったようです。
つまりドイツ人の間では、食べ物の名前で呼ぶ=差別ではないか、侮辱ではないか、という構図が成り立つのか。
なんだか差別なるものがよく分からなくなりましたが、
仮にこのダールマンさんが差別的な意味で「寿司の国」と発言したとして、
受け取る日本人が「え?何が差別なん?」となった場合、
これって差別が成立するのでしょうか?
いやいや、「言った本人に差別的な意識があれば差別やろ!」とか言われそうですが、そんなの明らかな差別用語を使われない限り永遠に分かりませんよね。今回も本人は否定している(というか、は?何言ってんの?と思っているようです)。
結局、差別ってその国の文化によっても変わってくるみたいですし、何というか曖昧なものです。
逆に日本人がドイツ人に「ドイツはクラウトの国」とか言ったら、おそらくドイツ人は激怒するのでしょうが、日本人からしたら訳が分からないのです。
世界中の差別を撲滅しようと思ったら、世界中の歴史を勉強しなさいってことですか・・・。
あらゆる差別は歴史から生まれます。黒人差別、ユダヤ人差別、男女差別、日本で言えば在日朝鮮人の方、全て歴史の産物。仮に大昔、肥沃な地帯に黒人が進出していたら逆のことが起きていたわけです。
歴史ってそんなに大切ですか?
まぁ、歴史学者にとっては大事でしょうが。職を失うし。
それより差別を無くすことの方が大事じゃないの?と思ってしまう。
だったら、世界で歴史教育を無くせばいいのです。詳細に教えるから区別→差別が消えない。欧米みたく上っ面の「差別発言はいけない!」教育がはびこる。
本当に心の底から差別意識をなくそうとしたら、歴史を無くすのが最善だと思うのですが。
分かってますよ。現実的ではないのは。どこの国もナショナリズム大好きだし。
僕だって日本の天皇家には誇りを持ってますし。
でもやっぱり考えてしまう。上っ面(=人前で差別的なことを言わない)ではなく本当に(=内心から差別意識が消える)差別を無くすには歴史の誇りを消さないといけないのでは?
そう思うのです。
ではまた!今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
↓押して頂けると励みになります(^ ^)
にほんブログ村