静岡市ののどかな漁港にイスラム教のモスクが完成したそうです。
地域住民の反対などもあり、このモスクの建設に尽力した日本人ムスリムの方が日本人のイスラムに対する差別や偏見をなくしていきたい、と地域で精力的な活動をしているとのこと。
印象的なのは以下の部分です。
「今まで、日本は単一民族国家だと考えられてきた部分があると思います。 だから外国人はアウトサイダーやエイリアンみたいに(扱われることもあった)。でも今は、もう、そうじゃないですよね。 ここ2、3年で「何が日本人か」という意識が顕著に揺れ動いていると思います。大坂なおみさんや八村塁さん、陸上の選手も(注目されている)。日本語が喋れるとか、日本国籍なのか、それともアジア人の見た目じゃないといけないのか。それらを突き詰めていくと『日本人』(という概念)はあってないに等しいというか。 だから、何人ではなくて相手を『人』と見て受け入れ、尊重する。その人は、その人の人格で生きているから、『外国人』じゃなくて『ここに生きている一人の市民』という意識で見て欲しいです」
全面的に賛成です。確かに「日本人」なんて概念はあまり意味がない。人種に関係なく相手を「人」として受け入れる。これは非常に大切なことだと思います。
人種が違うことで「日本人ではない」と考えるのは差別です。日本という国に暮らしている同じ「日本人」なのです。肌の色なんて関係ない。
ただ、人種と宗教は違うんじゃないですかね。人種は生物的な特徴であり、宗教は思想です。
記事の本文にもあったとおり、多くの日本人がイスラムに思うのは「怖い存在」です。その理由は言うまでもなく世界各地で起こっている「テロ行為」にあります。これは日本人だけが思っていることではありません。西欧ではイスラムによるテロが頻発しています。
もちろん、テロの話を出したときによく言われる「善良なムスリムと一緒にするな」という理屈は理解できます。
でも、多くのムスリムがテロを起こしているという現代社会の事実を無視していいわけではない。やはり日本人からすれば「怖い」のです。
これが差別や偏見なのでしょうか。もしくは無理解なのでしょうか。
いろいろな人が同じ地域で暮らしていくために、たった一つだけ守らなければいけないルールがあると思います。
それは相互理解と寛容性です。それなくして世界平和はありえない。自分も譲るし、相手も譲る、この精神が重要ではないでしょうか。
モスクの建設は、一見、相互理解と寛容性のように思われます。
でも、本文にあるとおり、日本人ムスリムの方は、「イスラムにとってモスクはなくてはならない存在」だからモスクの建設に尽力したのです。
イスラムにとってはモスクは必須だ!→だから、モスクに馴染みのない日本でもモスクは絶対建てるぞ!と、僕には見えます。
これが相互理解と寛容性と言えますか?
これが「怖い」ところなんですよ。宗教やっている人はここを理解しているか?僕が問いたいのは、まさにここです。
宗教に本当の相互理解と寛容性があったならば、
ムスリム側「モスクを建てたいところではあるが、日本の地域社会のことを考え今はまだやめておこう。モスクが無くたってイスラムは信仰できないことはない。」
日本側「モスクはまだ馴染みがないから嫌だけど、礼拝の場所や施設などを整備しなければいけないかな」
これが相互理解と寛容性だと思うのです。
宗教の本質に、絶対譲れないものがたくさんあるのであれば、それはまさに宗教自体が持つ欠点だと言わざるを得ないと思う。
ですので、これは別にイスラムだけの話ではなく、他の宗教にも当てはまることです。
宗教は絶対に譲れないものがある→その宗教を信仰していない譲れる人が出来るだけ譲るべきだ、
これじゃあ、世界は平和にならない。
僕は個人の信仰にどうこう言う気はありません。ただ、宗教に理解を求めるのであれば、宗教自体も変わっていかないと争いはなくならないと思います。
みなさん、いかがでしょうか。
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