よく「日本の常識は世界の非常識」と言われるじゃないですか。
大抵は「日本が変だ」、「日本が遅れている」という意味で使われる言葉です。
ネットで「世界の常識」を調べると、たくさん出てきます 笑、日本の異常さが。
日本はお客様は神様、海外はお客様と店員は平等
日本はタクシーが自動ドア、海外は自分で開ける
日本人はすぐ謝る、海外ではすぐには謝らない
日本人は自己主張しない、海外では自己主張が当たり前
日本では歩きながら食べ物を食べるのははしたない、海外では普通
まあ、いろいろありますが、多くは文化的な違いじゃないですか。違いがあるだけで、“非常識”という程のことではないように思えます。
そもそも“世界の常識”なんて存在しますか?
国、地域ごとに“違い”があるだけで、世界総体としての常識なんて存在しないと思いませんか。これだけグローバル化が進んでいるので、ある程度、世界的なルールは必要だと思いますが、あくまで国・地域ごとに“違い”があることが前提であるはずです。常識・非常識という基準ではないはず。単なる“違い”ですよね。
文化による違いだけの話であれば、この結論に文句を言う人はあまりいないと思いますが、やっかいなのは“人権”に関わること。
例えば、女性の社会進出、LGBTへの理解、など。
日本が“遅れている”と言われるところです。これ系の話は、人権が関わっているので、たた単に“文化の違い”などで片づけられない。
そしてどこに比べて遅れているかというと、欧米に対してです。でました!日本人得意の「欧米では~」です。
欧米では、女性の閣僚がこんなにいるのに、日本は・・・
欧米では、LGBTの法整備がこんなに進んでいるのに、日本では・・・
欧米ではこんな若い首相が誕生しているのに、日本では・・・
ここでいう「世界の常識」は、欧米及び欧米の影響を受けた国を指しますよね。
僕も日本は人権意識という面では遅れていると思いますし、このままでいいとは思っていません。女性の社会進出がもっと進んでほしいと思っています(女性閣僚を半数にしなければいけない法律があってもいいと思っている)し、LGBTの人権ももっと考慮されるべきだと考えています。そしてそのためには日本の政治家のレベルが欧米並みになる必要があるとも思っています。
ただ、欧米でこれだけ人権意識が発達したのは、もちろん理由があると思うんです。僕は学者ではないので間違っていたらゴメンナサイですが、ご存知のとおり欧米の歴史は、数多の国が乱立して、ひたすら争いを繰り返してきました。アメリカだって独立戦争によって出来た国です(まあ、原住民から見れば単なる侵略ですが)。
これだけ争ってばかりいるのです。国としても個人としても自己主張しないと即死してしまう環境なんです。欧米の国内では、結局、民衆の自己主張(革命など)によって、王政が倒され、個人の“人権”が確立していった。女性の社会進出だって、第一次世界大戦で男性が戦闘に狩りだされたため、国内で女性の地位が上がったことが契機です。
そりゃ、これだけ争っていれば、人権は普遍的な権利だ!という思想に行きつくはずですよ。そうなるとLGBTの人だって当然立ち上がります。
そして日本です。歴史的に他国との争いがほとんどない歴史です。のほほーんとした島国なんです。
こんなバックグラウンドの日本に、欧米の斬新な人権意識を輸入しても、そう簡単には根付きませんよ。
だから、やっぱり時間がかかってしまうと思います。欧米では必然なものでも、日本では咀嚼しないといけない。
急進的な日本の人権派の人は、なかなか進まない人権向上にイライラしていると思います。
でも、争いばかりの歴史だった欧米人とは、刻まれてる遺伝情報が違うと思うのです。
よって、やはりこの人権分野においても「世界の常識」なるものは無いのでは?と。
「だから男ってやつは・・・」と言われそうですが。。
ではまた!今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
↓押して頂けると励みになります(^ ^)
にほんブログ村