汎用リーマンがいく

団塊ジュニア世代。都内勤務の自他共に認める悲しき社畜です。サラリーマンの哀愁、世相、子供のことなど何でも楽しく語ります。

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介護放棄の権利を認めないと不幸の連鎖は止まらない

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【平成の事件】19人殺害の植松被告 接見19回と手紙34通から見えたゆがんだ正義と心の闇(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース

2016年に起こった相模原障害者施設殺傷事件。19人もの犠牲者を出した衝撃的な事件でした。この記事を見て思い出しましたが、改めて、この植松聖被告はクソ野郎ですね。そして、「障害者はいらない。」という植松被告の主張に、事件後、ネットなどで同調する投稿があふれたのも驚きです。

ただ、こんなネットの意見を単なる“差別主義者だ!”で片づけるのも問題だと思います。

障害のある子を産みたいと思っている親はいません。そんなの当たり前です。だから子供が障害を持って産まれてきたらショックを受けます。それでも血のつながった子供です。障害があっても愛情は消えません。ほとんどの親は慈しんで育てていこうと考えると思います。

でも皆が皆そうではないでしょう?

かなり重度の障害を持った子供の介護は半端なもんじゃないと思料します。肉体的にも金銭的にも精神的にも負担が大きいのではないでしょうか。老人介護と状況は同じではないでしょうか。

介護殺人・・・介護自殺・・・共倒れ・・・こんな報道よく見ますよね!

介護に嫌気が差している人だってたくさんいるはずです。

でも、肉体的に、金銭的に、精神的に、助けを求められない。だから悲劇が起こるのです。

介護者にまで不幸が連鎖してはいけません。

介護を放棄する権利を認めるべきです。

不幸の連鎖を止めるためには絶対必要です。介護問題は、それぞれ個別事情があります。介護者が疲弊したことを他人が偉そうに責める権利なんてありません。

まずは、障害者や老人は甲斐甲斐しく家族が面倒を見るべきという、意味不明な道徳をなくさないといけません。そんな道徳があると、仮に介護放棄できても「後ろめたさ」が残ってしまいます。

まずは、つらくなったら、堂々と介護放棄できるような風土が必要です。

特に痴呆のように被介護者が意思疎通できない場合、数十年に及ぶ介護生活はまさに苦行以外の何物でもありません。相手は自分のことも分からない。感謝の気持ちも持ってもらえない。一緒に笑ってもくれない。介護者は、こんな奴隷生活をするために生まれたわけではありません。そして、被介護者の病状は介護者の責任ではありません。

こんなの理不尽以外の何物でもないですよね。

これから日本は超高齢化社会に突入していきます。というか、もう足を踏み入れています。

介護を放棄する権利が絶対必要です。後は国が面倒を見るのです。

介護の美談なんて糞くらえ!だと思いませんか。そんなの肉体的に、金銭的に、精神的に余裕がある人だけが語れるものです。ほとんどの介護者にはそんな余裕なんてないでしょう。

何よりも大切なのは、不幸の連鎖を断ち切ること。そう信じています。



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