汎用リーマンがいく

団塊ジュニア世代。都内勤務の自他共に認める悲しき社畜です。サラリーマンの哀愁、世相、子供のことなど何でも楽しく語ります。

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【地下鉄サリンから24年】今や宗教は人類にとって邪悪な存在

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地下鉄サリン事件から24年 被害者遺族献花「死刑に重み」 - 産経ニュース

13人が死亡、6千人以上が重軽症を負った平成7年のオウム真理教による地下鉄サリン事件から24年となった20日、多くの被害が出た東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)で、同駅助役だった夫を亡くした高橋シズヱさん(72)や職員らが献花した。 昨年7月には元教祖、麻原彰晃(しょうこう)元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=ら教団による一連の事件に関わった計13人の刑が執行された。高橋さんは「執行があり、今までとは違う気持ちで来た。半年たち、死刑というものの重みが増してきた」と話した。



オウム真理教による地下鉄サリン事件から24年が経ちました。凶悪な事件でした。この事件を思い出すために、宗教はクソだなと強く思います。これはオウムだから起こったわけではなく、本質的に“宗教”そのものに、このような凶悪犯罪を起こす潜在リスクがあると思います。もちろんその宗教の教義によって、リスクの大小はあると思いますが。

改めて宗教の定義をWiki先生で確認すると、以下のとおりです。

宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。



教義や施設なんてどうでもいいんですよね。その上位概念が問題。“人間の力や自然の力を超えた存在”、これが宗教の観念の中心にあるうちは、宗教の邪悪性はなくならない。なぜなら、ある宗教集団が他の集団(別に宗教集団ではなくてもいい)と争いになったときに、まず、その宗教集団は自分の教義を主張してきます。それに対して他の集団が仮に一般的な、科学的な根拠で反論をしたとします。

でも、その宗教集団には全く響かない。なぜなら、教義の根本は“人間や自然の力を超えた存在”にあるので、人間や自然の力をベースとした科学的根拠とは永遠にかみ合わないから。

しかも、そんな超越した存在が、宗教・教義によって世界中に数多あるのです。

いや、永遠に他者には干渉しませんよ~という考え方なら問題ないのです。そうなら争いも諍いも起こらないので。

でも、宗教は信者を増やそうとします。

大抵の宗教は、信者を増やそうとしているので、積極的に自分の教義を世間にアピールし、布教活動に励みます。その結果、他の教義の信者や無宗教の人と諍いになっていくのです。

なぜ、諍いになるのか。超越した存在を元に攻めてくるものだから、一般人からしたら意味不明、他の信者からしたら違う超越した存在を信じている、ということで、

要は相容れない。互いに違う超越存在を語り合ったって、空中戦が続くだけなんです。ベースが全然違うのですから。

そうなんです。宗教における数多の超越存在これが諸悪の根源なんです。

もう宗教で人は救えないのです。このグローバル化した世界では、人々の諍いを生むだけの存在なのです。

まぁ、既に宗教の世界にはたくさんの利害関係者がいるので、もう消滅させるのは難しいのは理解しています。ただ、もう超越存在なんて時代遅れですし、そんな子供でも分かるようなバカなことやめてほしい。

宗教が消滅できないならば、日本のように文化、生活習慣レベルにまで宗教を退化されることができればいい。

ただ、キリスト教やイスラム教のような一神教は難しいかなぁ。自分の神が科学的に批判されたときに、「抹殺だ!」とか考えないレベルまで民度を上げることができるかなぁ・・・。

歴史が常に正しいわけではありません。差別とか戦争とか見れば分かりますよね。それは宗教も同じ。歴史の重みは別に正しさの証明ではありません。

とにかく超越存在は害。



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