新井浩文さんの事件が世間を騒がせています。マスコミは、ここぞとばかりに粗探ししまくるわ、芸能人仲間は大抵非難コメントを発表するわ、事務所は速攻で契約解除を通達するわ、で、
完全に、
逮捕=有罪
容疑者=犯罪者
の前提になってるじゃないですか!
ちょっと待って!
「推定無罪」ですよ。「疑わしきは罰せず」です。
有罪判決が下るまでは、新井さんは犯罪者ではないのです。
こんなに先行して世間から罰せられたら、もし冤罪だった場合の名誉回復なんて絶対無理。
本来は法が判断を下すのです。
なぜ、法ではなく「世間」が判断を下す?
そんな権限だれが与えた?三権分立のどこにある?
明らかにおかしいでしょ。しかし、以下のように大橋未歩さんみたいに声を上げる人は稀。
「しかし、判決が出るまでは犯人ではないわけで、冷静になるべきです。裁くのは私達ではなく、法なのです」と発言の真意を説明した。また、新井容疑者と被害者について「もし本当に罪を犯したなら償ってほしいと思いますし、被害者の方の心身の回復を願うばかりです」と思いをつづるとともに、「ただ私は法学部出身で、推定無罪なども学んできました。これは事件ですから、全容解明され起訴され法が判断するまでは慎重でいなければというのが私の姿勢です」と自身の考えを繰り返した。
大橋未歩、新井容疑者に「判決出るまで犯人でない」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
最も罪が重いのは、過熱報道を繰り返しているマスコミ。あれだけ連日あることないこと報道されれば、そりゃ、みんな新井さん=犯罪者と考えてしまいます。マスコミに都合のいい情報をリークする警察も悪い。でもよく考えれば、マスコミは利益を上げるために、視聴率、発行部数を伸ばさなければいけません。別に新井さんを陥れるために報道しているのではない。視聴率が取れるから、この話題を繰り返し流しているのです。では、誰が見ているのか?
民衆です。
視聴率、発行部数が伸びなければ、マスコミもこの話題をこんなに繰り返し報道しないですよね。
民衆は、断罪したくて断罪したくて仕方ないのでしょうか。世間って本当下世話な連中ですよね(←僕も)。
主婦の井戸端会議、サラリーマンの飲み会でのグチ、悪口、陰湿なイジメ、・・・
本質的に低俗なんですね。僕も含めて。まぁ、よくよく考えれば、民衆のレベルなんてこんなもんかもしれません。
民衆に“推定無罪”なんて高尚な原則を求めるのは時期尚早。
“推定無罪”は、近代法の基本原則ですが、これはあくまでプロの間だけの基本原則。まだまだ低俗な民衆には浸透していないのでしょう。
いつか街頭インタビューとかで、「〇〇事件についてどう思いますか?」と質問された民衆が、「判決が出るまでは、容疑者の犯行かどうかは分からない。判決を見守りたい。」みたいな回答するような世の中になってほしいと思います。
誰だって冤罪くらうのは嫌ですよね?だったら、他人の冤罪リスクについても敏感にならなくてはいけません。いつ自分に火の粉が降りかかってくるか分かりませんので。
ということは、他人が冤罪になる可能性を出来るだけ低くするように行動しなければいけません。
今回の件で言えば、まだ起訴もされていない、この段階で下世話な情報に踊らされないことです。
我々世間がレベルアップして、“疑わしきは罰せず”な世の中にしたいものです。それが結果的に冤罪も防ぐはず。
ではまた。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
↓押して頂けると励みになります(^ ^)
にほんブログ村