プラダ製品「黒人侮辱」批判で販売中止(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース
プラダが先月、黒い顔に分厚い真っ赤な唇の人形(↑上の写真です)を発売したところ、「黒人を侮辱している」と非難を浴び、結局販売中止に追い込まれました。ニューヨークの弁護士がこの人形を見つけ、SNSで批判し、それが拡散したとのことです。
どう思います?この人形。正直、僕は、黒人というより異星人というか“別な生物”って感じがします。足も赤いですし。
しかも、結構かわいい。
過剰反応じゃないかと思うんですがねぇ。それほどアメリカの黒人差別は根が深いということでしょうか。
「差別」とは、ある定義では、本人の努力によってどうすることもできない事柄で不利益な扱いをすること、とあります。本人の努力ではどうしようもないものとして、人種や民族、出身、家柄、学歴や職業なんかも対象になります。
それに当てはめると、本件の何が差別になるのでしょうか。
極論をすると、
例えばプラダが黒人を模してあの人形をつくったとします。
でも、そこに“差別的意味”が一切なければ、それは差別にならないはずです。
あの人形の容姿や形状自体に別に差別的な意図なんてないじゃないですか。僕だってかわいいと思ったぐらいです。
ということは、差別なんて、人の主観だけに基づくものになってしまいます。
差別が突然生まれるはずはありません。ということは、たくさんの人が差別だと感じるのは、
歴史のなせるワザなんでしょうね。
黒人には奴隷貿易など差別された歴史があります。そして差別していたのは白人です。
その歴史があるからこそ、あの人形を見て“差別だと感じる人がたくさんいる”のです。逆に歴史がなければ、あの人形は差別を感じさせません。
なんかアメリカの差別に対する騒ぎ方が本質的に間違っているように思えてならないんですよねぇ・・・。
本当に差別がない状態をつくろうと思ったら、
あの人形を見ても、だれも黒人差別だ!と感じない世の中をつくることじゃないでしょうか?!
つまり、その人に真の意味で差別意識がないのだとしたら、あの人形を見ても一切騒がないはずなのです。なぜならあの人形を見ても、何ら差別的なことが思い浮かばないので。
でも、アメリカでは大勢の人があの人形で差別を連想するのです。
つまり、それは差別的意識をもった人がたくさんいるということです。
差別的意識をもった人が、プラダの人形は差別だと糾弾する。なんかよく分かりません。
差別的な考えがあるから、あの人形が差別的な商品に見えるだけでしょ?
あの人形を見ても、何も感じなくなる。くまのプーさんの人形を見たときと同じような感情が沸き起こる。
そういう状態にならないと差別は絶対なくならない。
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