汎用リーマンがいく

団塊ジュニア世代、某旧帝大卒、都内勤務の適当・汎用サラリーマンです。社畜、社会、世相、娘の中学受験など何でも楽しく語ります。

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【アーティストとは】西野カナさんの作詞方法になぜ非難が?

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“売れれば”いいのか?西野カナが公開した“作詞手法”に批判の嵐(1ページ目) - デイリーニュースオンライン



西野カナさんの作詞手法について非難の嵐?が起こっているそうです。その作詞方法ですが、まずご本人が自分で詞を書きます。

そして、その後、アンケートや友人への取材を行い、その中で多かった意見などを参考にして作詞していくそうです。

企業みたいですね。まさに“マーケティング作詞方法”です。

僕は別にいいのではと思っていますが、批判としては、

  • そりゃ多かった回答を使えば共感を得られるに決まっている

  • どうりで薄っぺらい歌詞だと思ったよ

  • アーティストなら人がどう思うかより、自分の伝えたいことを詞にすべき



なかなか手厳しいですが、これは皆さんが歌手(シンガーソングライター)を、

アーティスト

と考えているからに他ならないでしょう。アーティストとは、孤高の、才能に満ちた存在で、他人には媚びず、自分の内なる情熱を表現することによって、人を感動させる存在ですよね。

僕は西野カナさんのことをよく知らないので、マーケティング作詞OKと言っていますが、確かに、

尾崎豊やBOΦWY(←すみません僕世代です)

が、アンケートで歌詞を書いていると言われたら、かなりショックを受けます。寝込むかもしれません。西野カナさんファンも同じでしょうか?

それはやはり僕が彼らを孤高のアーティストであるべき、と考えているからでしょう。アーティストたるもの“孤高の存在”じゃないとかっこ悪いのです。

ただ、一方で、一流のアーティストが一流と言われる所以は、多くの人に感動を与え、共感を得るからです。

多くの人に感動を与え、共感を得るには、たくさんの人の意見を聞くのが一番手っ取り早い。でも、それをやったらアーティストとして非難を受ける。

つまり我々がアーティストに求めるものは、

まず前提として、「孤高」であるべき。自分の才覚のみで表現する。これがあって初めて神秘性のオーラが発生する。

そして、結果的に、人々に感動を与え、共感が得られる。あくまで“結果的に”です。

要するに、最初から「共感を得る」ことを目的にリサーチすること自体が、

俗物

っぽく見られてしまうのでしょう。

人は、自分とは違う(=俗物ではない)崇高な存在に感動します。アーティストたるもの、常にそうあってほしい、という願望があるのだと思います。

人間なかなか面倒ですね。。。

ではまた。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。

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