たまに「大学に行くべきか」という議論を見ますが、僕的には、“大学は”全然問題ないと思っています。
大学は行くべきでしょう。
ご存知のとおり、大学は、専門知識を身に着ける場であって、別に教育(ここでの教育は躾とか道徳とかのこと)を受けるわけではない。大学の先生が好きなように自分の専門分野を教えているだけの場です。
深い知識を身に着けることは、これからの厳しい世の中を“生き抜く”ためにも絶対に有用です。没頭して学んだことは絶対に自分の助けになります。
僕が問題だと思っているのは、“小中高”の教育の方です。
結論から言うと、小中高でも大学のように知識だけ教えてばいいと思っています。教育はいらない。
先日、娘の小学校の授業参観に行ってきました。正直僕の頃(30数年前)と変わっていないのです。
相変わらず集団社会における協調性重視なんですよね。
問題の答えは、模範解答の方に誘導する。みんな同じタイミングで同じことをする。騒ぐ男子に対しては大声で制圧する。学芸会の練習なんかも見ましたが、小学校低学年にして一糸乱れぬ演技が出来ちゃっています。この教育を6年・3年・3年の12年続けていれば、知らず知らずのうちに、
個性なんて無くなっちゃいますよ。
こんな時代なのに相変わらずの“没個性教育”なんです。
これからの時代、協調性なんて、
身に着けるべき人だけ身に着けてればいいスキル
なんだと思いませんか?
没個性の方が戦闘力があると思われていた右肩上がりの時代なんて大昔に終わっています。
こんな変化の激しいテンプレなき時代、協調性なんて役に立たん!
僕自身、小中高の先生から人生を変えるような感銘を受けた記憶がないこともあり、
学校の先生を“教育のプロ”とみなすことに違和感感じまくりなんですよ。だって、道徳とか躾なんて、本来、相対的で正解がないものじゃないですか。
そんなの強制したらダメでしょう。マインドコントロールですよ。宗教と何ら変わらない。
ここは、国も勇気を出して、学校は知識教育だけに特化させて、道徳、躾、生き方等個人の価値観の根幹に関わる部分には関与しない方針にすべきです。
そうすれば、様々な弊害(特に上の世代から見て)も発生するかもしれませんが、個性豊かな社会になること間違いなしです。
日本の戦闘力も絶対あがると思いませんか?
ではまた。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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