2・6・2の法則というのがあります。どの会社でも20%は「仕事ができない人」がいるということです。不思議ですよね。採用されるときは、ほぼ同じような能力だったはずなのに。
これがやはり組織で仕事をすることの難しさです。
つまり、組織で仕事をするってことは、評価が相対化されてしまうというこで、絶対に下層20%が発生してしまうような仕組みになっています。
ここで仕事ができない、できる、とかお話していますが、会社において「仕事ができる」って一体どういうことなんでしょうか?一般的には「仕事ができる人」とは、
会社の成長のために「成果」を上げる人
のことを言います。端的に言えば、「稼げる」人材のことです。ここで「稼ぐ」について考えてみると、小売店や小さい会社を除いて、会社員で「俺、稼いでるぞ~!」と実感できる人は少ないのではないでしょうか?社員がたくさんいる会社では、当たり前ですが、分業が確立されているので、自分でキャッシュを稼いでいる感はほとんどないと思います。また、他人(上司など)から見ても、「こいつは稼げる人材だ」とはっきり分かっているわけではありません。
こうなると、「仕事ができる人」って何なんですかね?「成果」とは何でしょうか?
ここで僕自身のお話をします。僕は、会社生活20年で1社しか経験がありません。典型的な「しがみ付き」系の社畜です。5職場経験しており、4年に一回ローテーションしている計算になります(実際には5職場の在籍年数は全然違いますが)ので、まぁ、うちの会社では平均的でしょう。
ここで重要な告白があるのですが、僕自身、自他ともに認める「適当」汎用サラリーマンなのですが、なぜか出世は遅い方ではありません。
なぜ本日このお題にしたのかにつながるのですが、実は。。。
僕は、会社生活でこれまで何ら「成果」を上げた記憶がないのです。
。。。
そうなんです。しっかり客観的に考えたところ、本当に「成果」なんて上げていない(⇐自慢するな!)。しかし、なぜか結果だけついてきているのです。
これはどう理解すればいいのか、以前からずーっと考えてきました。
ここで冒頭の2・6・2の法則に戻るのですが、うちの会社で「仕事ができない」と言われている人を観察してみると、
事務処理が苦手なわけではない(=地頭はある)
部署間の調整能力がないわけではない(=組織の中を泳ぐこともできる)
人を使うこともできる(=それなりのマネージメント能力はある)
このような基礎的な能力に関しては特段問題ないと感じています。にもかかわらず、「仕事ができない人」というレッテルが貼られてしまう。実は「仕事ができない人」は、仕事ができないわけではないのかも、という仮定のもとに、彼らに欠けているものを考えると、
KY(空気読め)が苦手
報連相が苦手
責任感がない(と思われている)
これぐらいだと思います。これらの共通点は、
上司を不安にさせる
まさにこれです。「仕事ができない人」の共通点は、実際の実務能力が低いのではなく、どちらかと言えば、上司が何となく不安になる要素を持っていることです。
一つご留意いただきたいのは、ここでいう「仕事ができない人」の意味は“平時”での「できない」です。例えば、社内で大きな使命を負ったPJチームが結成されて、そのリーダーとメンバーの中で2・6・2を判断するときは、もっとハードルが上がるとは思います。例えば、まさに実務処理能力とかマネージメント能力とか。
ただ、通常業務においては、「できる人」と「できない人」との差は、こんな些細なものじゃないかなぁ、と感じています。
ちなみに、責任感がない人はダメだと言われることが多いですが、僕は、別に責任感なんて無くたっていいと思っています。会社の仕事なんて、歯車として、やるべきことをやって給料をもらうだけ。こんなの責任感がなくたって、誰でもできます。問題なのは、上司に「あいつは責任感のないやつ」と思われることです。なお、僕は会社の仕事には全く責任感を感じていません!責任感を感じているのは、正直、子育てぐらいです。そもそも「責任感」って何ですかね?責任を感じれば合格?
本質論ではないと思いませんか?KYとか報連相とか責任感って、本質的には、何か付加価値を生むとかイノベーションを起こすとかに、何も関係ないじゃないですか!
本当、会社って組織は、「もったいない」ように思えます。人材を「活用しきっていない」のかもしれません。
自分が、「器の大きい」上司になれば、もっと多様な人材を活用できるようになるかもしれません(すみません、頑張るつもりはありませんが。。。)。
ではまた。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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