汎用リーマンがいく

団塊ジュニア世代、某旧帝大卒、都内勤務の適当・汎用サラリーマンです。社畜、社会、世相、娘の中学受験など何でも楽しく語ります。

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「尊敬する人」がいないのは不幸なのか?

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「尊敬する人」っていますか?

「西郷隆盛」とかではないですよ。歴史的な人物ではなく身近な人物です。

実は、僕、これまでの人生で「尊敬する人」に出会ったことがないのです。

社会人になってからも、たまに、若手などが「僕、〇〇さんのこと尊敬してるんですよね~」と目をキラキラさせながら、屈託のない笑顔で語ることがあるんですよ。正直、「よくそんなこと言えるなぁ」と宇宙人を見るような目でみてしました。

別にいいとか悪いとかではありません。ちょっとよく理解できないだけです。。。

子供の頃、「尊敬する人」がいないと言うと、大人や先生から何か寂しい子みたいに言われたことを覚えています。何となく「尊敬する人」がいないとダメなのかなぁ、と思っていました。なぜ「尊敬する人」がいた方がいいかというと、おそらくですが、「尊敬する人」を道徳的に基軸となる人、人生の手本になる人と捉えて、その人を目標にまい進できるから、ではないでしょうか。

だから、「尊敬する人」がいないと、なんか“道標がない人”みたいに思われるのでしょうか?

さておき、僕は別に意識して「尊敬する人」をつくらなかったのではありません。

そういう目で人を見たことがないのです!

この人は、頭がいいなとか、運動神経がいいなとか、仕事ができるなとか、要領がいいなとか、やさしい性格だなとか、普通に感じますが、「尊敬」という目で見たことがない。

そもそも尊敬とは、「その人の人格を敬うこと」らしいです(ネットの辞書)。

そして敬うとは、「尊敬する」ことらしいです(ネットの辞書)。

。。。。。

ループしててよく分からん!!まぁ、端的に言えば、「人生の手本」みたな存在なんでしょうか。

そう考えると、「尊敬する人」がいるってことは、自分の可能性に制限を設けている、ということにもなりませんか?その「尊敬する人」が手本になるわけですから、その呪縛から逃れるのは容易ではないですよね?手本はいい道標なんでしょうが、言い方を変えると、真似をしている限り、その手本のレベル近辺でウロチョロしてしまうことになると思います。自分自身でキャップを設けているようなもの。

この考え方って、ひねくれてますか?

まっすぐノビノビ「この人を尊敬してます!」と自信をもって言える人の方が、成長できる人なのでしょうか。。。

僕には分かりません。何せ意識したことがないものですから。。。仕事では、新入社員はまず先輩の仕事を真似るのが鉄則です。「尊敬する人」を手本にするのも、それと似たようなものなのでしょうか。前者は「仕事」、後者は「人生」ですよね。何か違うような気がするのですが。

「人生」って誰かを手本にするようなものでしょうか。もっと型にはまらない自由なものであるべきに感じます。

“道標がない人”は、イコール、“自由な人”なのではないかと思います。どこにでも行ける人です。こういう考え方に立つと、人生の手本をつくる人は、あえて型にはめてしまうことによって安心感を得たいのかとも思えます。「人生」にある程度レールを敷いた方が、何かと楽ですから。。。

僕はこのまま楽しく適当サラリーマンをやっていきます(^^♪。。。ただ、自分の子供に「人を尊敬することの意味」などを教えるような場面があったら、どう対応するか悩みどころですが。

ではまた。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。



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