汎用リーマンがいく

団塊ジュニア世代、某旧帝大卒、都内勤務の適当・汎用サラリーマンです。社畜、社会、世相、娘の中学受験など何でも楽しく語ります。

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差別はなくならないが、「縮める」ことに意義がある

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様々な差別があります。

  • 人種差別

  • 男女差別

  • 貧富の差

  • LGBTなど少数者に対する差別



いろいろありますが、誰一人同じ外見、能力、境遇には生まれないので、間違いなく生まれた瞬間に「不平等」な世界にようこそ!ということになります。世の中は、当たり前ですが「不平等」が前提なのです。

まず、一つあるのは、この「不平等」を呪ったところで、どうしようもない。革命を起こそうが、「誰一人同じ外見、能力、境遇に生まれない」以上は、不平等はなくならない。(革命によって、“境遇”ぐらいは、他人との差を縮めることはできるかもしれないが)

よって、「平等」な世の中なんてあり得ない 。だから、みんな努力するんです。勉強して一流大学に行きたいと思ったり、起業して金持ちになりたいと思ったり、少しでも上へ上へ行こうとするのです。

人間の歴史において、この「不平等」を克服する活動は常に美しいですよね。「貧富の差」なら、富豪になった人のサクセスストーリー、人種差別なら黒人差別撲滅活動の歴史(キング牧師など)、男女差別であれば、まさに今のMeTooのようなムーブメント、人は絶え間なく「平等」な世界をつくろうと努力しているのです。当事者は本気です。何せ差別をまさに今受けている本人なのですから。

もちろん必死に努力することは本当に素晴らしいと思います。しかし、先ほどから申し上げているとおり、結局は「不平等」は無くならないじゃないですか。ということは、根源にある差別意識は無くならないのです。そうすると、これらの「活動」はどんな意味があるのでしょうか?

考えちゃいますよね。。。もちろん理想に燃えて、「いや、いつか人類から完全に差別を撲滅するんだ!」という理想論もいいですが、しつこいですが、前提として「不平等」に生まれてくるのです。「差別をした人には死刑」みたいなことをすれば、外面的には減るでしょうが。そりゃ死にたくないので。。。で、話を戻して、こういう活動にどんな意味があるのか?

たぶん、これらの活動は、

少しでも差別を「縮める」ためにある。

「縮まった」ところで不快になる人はいるだろうにという考えもありますが、その人数は減りそうですよね。ということは、人類の差別撲滅に向けた活動は、

少しでも幸せを感じることができる人を増やす」という意義があるんでしょうね。(内心が差別主義者でも)差別的な態度を取られないだけで、一応、差別意識は伝わらない。であれば、こうした活動もちゃんと意義はありそうです。

すみません、「どうせ差別が無くならないのなら、これらの活動なんて虚しいだけ」と思いがちだったもので。。。

「幸せな人が一人でも増えそうな社会」っていい響きだ(^^)

ではまた。今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます!



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