汎用リーマンがいく

東京勤務の適当サラリーマン。鈍~く世相を語ります。団塊ジュニア世代、北海道出身。某旧帝大卒後、都内の一部上場企業に勤務。

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SNSによって「考える」役割がマスコミから個人に移譲された

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まだネットやSNSが発達していなかったとき(10~15年ぐらい前)、主な情報の入手先はテレビや新聞など「既存メディア」だけでした。ご存知のとおりテレビや新聞には、それぞれ独自の主義・主張があるので、国民は常にそのバイアスを通した情報しか得ることができませんでした。簡単に言うと、ある客観情報に「これはいいことだ」、「これは悪いことだ」という価値観のオマケ付きの情報が流れてきていました。国民は既存メディアの好きなように世論誘導されていました。よく「偏向報道」などと言われてるやつです。また、過去のブログでも触れましたが、既存メディアの間違った報道つまり「誤報」により、個人が社会から抹殺される冤罪未遂事件なども発生していました。

僕は今でも既存メディアは、客観情報だけを報道すべきだと思っています。いかに物事を客観的に正確に国民に伝えるかがメディアの使命です。実際、放送法でも「公平公正に事実をまげない」報道をする義務があると規定されているのです。極論すれば、既存メディアが、何等かの主義・主張をした時点で、受け取り方次第では「事実がまげられた」とこになってしまいます。よって、

既存メディアは、客観的に「事実を伝える」のみ。

それを受けて個々の国民が「考える」

そういう役割分担があるべき姿だと思っています。

ただ、既存メディアが、彼らの主義・主張を止めることはあり得ず、それが存在意義だと思っているフシすらあるのでタチが悪いのですが、SNSの登場で様相が変わりました。既存メディアがSNSの意見を世論として報道するようになったのです。先日のワールドカップの報道などまさにそうですよね。ワールドカップ前は、日本代表は酷いバッシングの嵐だったのに、試合に勝った瞬間に「手のひら返し」して、一瞬で「感動をありがとう!」みたいになったじゃないですか。これは既存メディアが、SNSの意見を世論として報道しているためです。

SNSで個人が意見を発信できるようになったので、既存メディアが無視できなくなったのです。こうなると、既存メディアは、単なる放送機械みたいなものです。個人の意見の集合体が“世論”になったのですから!

我々個人も今まで以上にしっかりしなくてはいけません。現在は我々が世論をつくる側になった以上、個々に高い倫理観が求められるようになります。ある意味、既存メディアの放送法と同じです。これまでは、既存メディアが「俺が世論だ!」という意識があったため、彼らがそれなりに自制していた(ちゃんと自制していたかどうかは別ですが)のですが、これからは、個人が、節度をもった言動をしなければいけません。

これは言ってみれば、「考える」役割が既存メディアから我々個人に移譲されたということです。

SNSが結果として、個人のレベルアップを促したとも言えます。いずれにしても、今や既存メディアの偏向報道に惑わされるリスクも減りましたし、個人が考える機会も増えました。SNSは、いろいろな弊害もありますが、こんないい面もあるということです。

ではまた!今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。



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