汎用リーマンがいく

某旧帝大卒、一部上場企業勤務のその辺にいるサラリーマンです。何でも語りますが、小学生の娘が中学受験の塾に通いだし、最近、自分とは無縁だった中学受験にハマりだしています。

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既存メディアではなく「ネットの声」が本物の世論

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最近はテレビやネットのニュースを見ていても、よく「ネットの声」が取り上げられます。「ネットの意見では~」、「ネット上では~」という表現が全然普通になっています。では、すっかり市民権を得たこの「ネットの声」を世論と言えるのかどうか、考えてみました。

世論とは

そもそも世論とは何でしょうか。

・世間の大多数の人の意見。一般市民が社会や社会的問題に対してとる見解。

・ある社会の問題について世間の人々の持っている意見。

・公共の問題について、多くの人々が共有している意見。

辞書によるとこのような感じです。

突然気づいたのですが、この世論の定義からすると、意見・見解の対象になるものは、ある社会的な公共の問題のようです。よって、「不倫」など極めて個人的な問題は、世論の対象にならないように見えますね。個人のスキャンダルなど下劣な話題でキャーキャーやってるワイドショーって何か恥ずかしいですね。まぁ、結局、見ている人が多いのが問題なのですが。

さておき、

もう一つの注目点は、「だれの」意見か、というところ。上記の定義では、「世間の人々」のようです。つまり、我々一般人のことですね。

つまり、ごく一部の集団、例えば学者とか知識人みたいな人だけの意見ではなく、さまざまな属性の一般人の集団の意見ということになります。

ネット普及前との比較

日本にインターネットが普及して約25年になりますが、それ以前は、「テレビ」や「新聞」など既存メディアから流れてくるものが、正しい情報だと認識されていました。だって、テレビと新聞しかないのですもの。実際には、そのマスコミの主義・主張、編集者の意見、識者の見解などが色濃く反映されていましたので、全く客観的な情報ではない、メディアによるバイアスがかかりまくった情報でした。つまり、そのころの世論は、マスコミ色を通した世論であったため、到底、「一般人」の意見とは程遠かったのです。

しかし、今は個人が世間に当たり前のように発信できる時代になりました。たびたび個人の意見が“炎上”しますが、それはその個の意見が世間に大きな影響を与えている証拠です。やっと、自然なホンモノの「一般人」の意見が世間に出る時代になり、マスコミのバイアスがかかった偽世論がホンモノの世論になったのです。ネットは匿名なので、確かに責任や信ぴょう性の問題が付きまといますが、逆にいうと、匿名だからこそ世間の正直の意見とも言えます。少なくとも識者や有名人のコメンテーターの意見よりは、世間の意見を反映していると言えます。いまは、個人個人が世論の代表者といえます。先日、ある敬老会の方が、敬老者たちのお花見行事のために一般車両の席に「予約席」という紙を置いて非難を浴びましたが、これも個人がTwitterに画像を上げたことにより世論が形成されました。ネット普及前であれば、その場にマスコミがいない限り、まず間違いなく大騒ぎにならなかったでしょう。

この老人会の席予約の件は賛否両論ありましたが、言い換えると、以前であれば論争の的になりえなかった些末なことでも大騒ぎになる可能性が高い世の中になってしまったと言えます。これはこれで窮屈とも言えますが、不正についても細かいものも見逃さない時代になったとも言えます。いい面悪い面ありますが、細かいものまで世論が形成されるのも、なかなか面白いと思いませんか。そういうところから新たな価値観や思想が生まれるかもしれません。

ネットのおかげで我々一人ひとりがオピニオンリーダーになれる可能性が出てきたことは悪いことではありません。

イノベーションもなかなか捨てたものではないですね。

ではまた。

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます!



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