先日のはあちゅうさんのTwitter炎上などをみると、今の世の中、細かい話題にまでどんどん世論が形成され、対立を促される時代になっているように思います。
これがいいことなのか、悪いことなのか難しいところですが、少なくとも社会が不寛容になってきていると感じます。
ネット普及前の世論
インターネットが普及して20年ほどですが、その前は、世論を形成するための情報に関しては、専らテレビ、新聞、週刊誌など既存メディアが発信していました。
大体のネタは、記者さんが頑張って足で稼いでお茶の間に届けていました。
ポイントは、記者さんはプロであること。つまりプロのバイアスがかかったものを我々は受け取っていたことになります。
もっというと、記者というプロの意見も付属した情報を受け取っているわけで、言ってみれば、既存メディアが世論を誘導しているとも言えます。
これは悪い意味だけではなく、エリート(?)のマスコミたちがその洗練された意見によって世論をコントロールし、国民が極端な方になびかないようにしていた(のかもしれませんね)。
ネット普及後の変化
一番大きな違いは、個人がどんどん意見を発信できるようになったこと。手段はたくさんありますよね。ブログ、Twitter、YouTubeなど。
よくよく考えれば、これら新しい情報発信手段だけでは、世論って形成されないんですよね。
はあちゅうさんのTwitter炎上も、Twitter内だけであれば、世論の対立までは生みません。結局、この炎上事件を既存メディアやネットニュースが報じるから、世論化するんですよね。
Yahooニュースなどのネットニュースも結局プロの記者さんが書いているので既存メディアと同じです。
ネット普及前との一番大きな違いは、個人が発信しているネタを扱うため、その内容がとても細かいものになっているということです。
電車でのベビーカーの使用、芸能人の不倫、バイトによるコンビニでのいたずらツイート、サルにイギリス女王の名前を命名(イギリスから抗議はない)、幼稚園がうるさい、等。
本当どうでもいいことが世論化の対象になります。こんなのは少なくともネット普及前には話題には上がっても世論化はしなかったはず。
時には袋叩きやリンチの刑にされてしまうことも。。。
そしてどんな社会になるのか
どうでもいい細かいことまで世論の対立が起こる時代です。
本来ファジーでいいはずの細かいことまで、ガチガチの世論が入ってくれば、そりゃ「生きにくい世の中」になっていきますよね。
不寛容な社会の誕生です。
一億総叩き社会、過剰批判社会と表現する方もいます。
民主主義の極みのような、誰もが情報を発信できる、表現を自由にできる社会がまさか不寛容を生むとは。
昔、親から「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません!」と怒られた方も多いと思いますが、そんな当たり前のことも出来ない世の中になってしまった。
今更、インターネットのない生活は送れません。また、他人に不寛容になってはいけません!という教育も効果は薄そう。
ネット叩きをしている年齢層は、おっさん(僕ぐらい)が多くて、若くなるほど減っていくというデータもあります。
確かにおっさんは、ネット普及により、今まで一方通行だった情報が、自分たちからも発信できることに感動した世代です。
今までの欲求不満(世代的な不遇も含め)が、ネットに触れることで爆発してもおかしくない。
生まれたころからネットがある世代は、それが当たり前なので、不寛容さは感じていないかもしれない。
ということは、単なる過渡期なのか。だったら嬉しい。
だってこんな息苦しい社会イヤですもの。
ではまた。