漫画「アカギ」がついに完結しました。
なんと連載27年で、麻雀漫画としては最長記録とのことです。
とても大好きな漫画だったので残念ですが、読者の皆さんは、この漫画の題材について実は麻雀でも何でもよかったのではないかと思っています。
実際僕もそうなんですが、おそらく皆さんは、主人公「アカギ」の圧倒的な才能に酔いしれていたのだと思います。
麻雀の内容には詳しく触れませんが、とにかく全てが神がかっていました。まさに天才降臨。
主人公が天賦の才を持つ漫画や映画はよくありますが、なぜ我々はそれに酔いしれるのでしょうか。
それは僕が感じているままでしょうが、自分が凡人だからでしょうね。。。
だから輝けるものを見ると、憧れ、尊敬、羨望、嫉妬などいろいろな感情が強烈に沸き起こるのでしょう。
正直、僕は、才を持つ人に対して強烈な嫉妬を感じます。
自分がどんなに努力してもたどり着けない高みを知っている人。
僕もその高みを見てみたい。
今でもそう思っています。
ところで才能とは何か、あまり深く考えてきませんでした。
今日はちゃんと考えてみます。「アカギ」完結記念です 笑
才能の定義
まずは「すごい人」による才能の定義をみてみたいと思います。
探すと結構あるものです。
辞書:物事を巧みになしうる生まれつきの能力
宮崎駿さん:情熱を継続させる能力
羽生義治さん:続けること。継続力
村上春樹さん:ずっと努力し続ける力
ジョン・レノンさん:自分に何かが出来ると信じる能力
松下幸之助さん:意志と根気
エリック・ホッファー(哲学者):継続と忍耐
まず、辞書と偉人の定義が全然違いますね。
僕の場合、辞書の方が僕が思う「才能」のイメージに近いです。
偉人の方々が同じようなことを言っているのが興味深い。
「継続」です。
イチローの例であれば、
①生まれつきの強肩×②野球を続ける力=イチローの才能
でしょうか。
僕は①に、偉人は②に着目したのでしょう。
①、②どちらが欠けてもイチローの才能は完成しません。
偉人の方々は、もともと①を持っているので②が重要だと説くのでしょうね。
でも凡人の僕からすれば、①の輝きに惹かれます。
なぜならこれこそが、僕がどんなに努力をしても手に入れられない生まれつきの「天賦の才」だからです。
天賦の才について
以前のブログでも触れましたが、昔ビリヤードをやっていました。
大会でもいいところまでいく選手でしたが、結婚や子供を理由にして10年ぐらい前に止めてしまいました。
でも本当の理由は、何となくですが自分には「才能」がないなと感じたからです。
おそらくどのスポーツや場面でもそうだと思うのですが、非常に重要な場面に強い人っていませんか。
オリンピックの金メダルがかかる場面、大きな大会の決勝の土壇場、など。
「強い」どころではなく奇跡を起こす方もいます。
一流選手、天賦の才がある人は、みなこれを持っていると思うのです。
練習だけでは説明がつかないことが、一番重要な場面で起こる。そういう人って確かにいます。
僕はこれが才能だと思っています。自分には決していけない高み。
これがない自分はてっぺんにいけないな、と感じてからビリヤードに熱中できなくなりました。
まぁ継続も才でしょうから、それがなかったとも言えなくもないですが。。。
なので今日もテレビやネットでその輝きを持った人を羨望の目で見ながら、サラリーマン余生を過ごしているのです。。。
なんとも寂しい感じになってしまいましたが、世の中そんなもんです、はい。
夕方のビール、子供の成長などで満足する人生なんです。
それはそれでなかなか幸せですがね(^_^)
ではまた。